2000年2月19日、激しく雪の降りつづける青森港に遥々インドから木造貨物船アル・アジズ号がやってきました。乗っているのは6人のミャンマー人船員。この船は一般的にはダウと呼ばれているインド洋の木造貨物船で、大きな三角帆を備えた機帆船です。こんなダウが日本まで自走してきたのは、初めてのことです。青森市にある「みちのく北方漁船博物館」に展示するためにやってきました。
わたしたち海工房はインドのグジャラート州ジャムサラヤでアル・アジズ号を見つけるときから、博物館のお手伝いをしてきました。
10月にインドを出航してから5ヶ月近くもかかりましたが、無事日本に到着したことを喜んでいます。
アル・アジズ 【AL AZIZ】 について
インドとアラブの交易船として使用されていたダウです。インド製(インド船籍)の木造貨物船で、ダウのなかでもこのタイプの船はサフィーナとインドでは呼ばれています。通常は船員は十人ほど乗っていて、毎年9月には母港のジャム・サラヤを離れ、ドバイに向かい、そこからソマリアやペルシャ湾内での交易に従事します。翌年の6月に母港に帰り、補修をします。船員たちにとって7月8月が夏休みです。
普段はエンジンで走っていますが、風がよければ燃料の節約やスピードをあげるために帆を揚げ、機帆走します。約9ノットほどでます。アル・アジズはインド洋を走っていた現役のダウです。
アル・アジズ号
建造地 インドのグジャラート州ジャム・サラヤ町
建造年 1981年
大きさ 63トン
長さ 24.3メートル
幅 5.2メートル
深さ 3.0メートル
船材 インドチーク材
インドより青森までの廻航ルート
1999年10月 インド出航
12月 シンガポール入港→ヴェトナム
2000年1月 台湾
1月 沖縄
2月 清水→鹿島→八戸→青森 到着
ダウとは
インド洋を中心にペルシャ湾や紅海で交易に従事している木造貨物船の総称です。ダウにはいろいろな型がありますが、共通しているのは大きな三角帆(ラティーン・セール)を備えていることです。船乗りたちはアラブ・イラン・アフリカ・インド人など、インド洋をとりまく国々の男たちです。
起源
ちょうどシンドバッドの大冒険に描かれているようにイスラーム教徒が勢力を拡大した7世紀以降から、アラブ商人がダウに乗って海に乗り出しました。交易範囲は東は中国の泉州から南はアフリカ東海岸のザンジバルまで、インド洋全域にわたります。
そのころの交易船と基本的にはあまり形が変わることなく、現在まで利用されているのがダウです。エンジンが着く以前は冬の北東モンスーンを受けてペルシャ湾の、メソポタミアから船出をしてインド洋を渡りました。そして季節風が南西に変わる4月ごろ、インドやアフリカからアラブに向かいました。今もインド洋が荒れる7月8月の2ヶ月間は小さなダウは走ることができません。
昔のダウは板と板を縫い合わせて造っていました。その方法は板に穴をあけて、ヤシ殻繊維から作った紐を通して結び合わせました。船釘を作る鉄が手に入らなかったわけではなく、インド洋の底に大きな磁石の山があると信じられていたからです。もし板を鉄釘で打ちつければ、インド洋を渡るとき釘が抜けてしまい船がバラバラになると恐れていたのです。今もインドの海岸では船を縫い合わせて造っています。
9世紀から10世紀ごろ、アラブやペルシャの船乗りたちは遠く、中国まで交易にでかけていました。そのころ泉州には9万人ものイスラーム商人がいたといいます。このころ中国に行った船も縫合船だったようです。11,12世紀にはアラブからたくさん馬がインドに運ばれました。その数は年間2千頭にもたっしたといわれます。
現在のダウ
ペルシャ湾・インド洋の沿岸諸国では今も木造貨物船のダウが様々な雑貨を積んで行き交っています。特にアラブ首長国のドバイは一大交易拠点となっています。また、インドやパキスタンとアラブ諸国、あるいはアフリカのソマリアなどとの貿易もダウが担っています。ダウはセメントや鉄屑、肥料、マングローブの木、砂利、お茶など、なんでも運びます。
ダウの利点は大型船の着かない港や、量は少ないが多品種のものなどに対応できることです。それ以上に長い歴史に培われた交易ルートや人脈がダウが今も活動できる大きな理由でしょう。
ダウの船乗りたちはみんなイスラーム教徒です。ですから航海中でも一日5回の礼拝は欠かしません。イスラーム教徒は偶像を拝むことを禁止していますので、ダウの船体に彫られた彫刻は抽象的な模様になっています。コーランの一節をアラビア文字で彫ったものもあります。
船には船員たちの部屋はありません。舵やコンパスなどの航海道具がある、操舵室が唯一の部屋で、そこには船長が寝るベッドがありますが、ほかの船員たちは積み荷のあいだや、操舵室の屋根で寝ます。ですから航海中は大変厳しい状態に耐えなければなりません。水は大きなタンクにいれてあります。冷蔵庫がないので、食事は塩漬けや乾燥した魚をカレーのように煮込んで食べます。港につくとヤギを一頭かってきて、解体して食べたりします。
ダウは形が決まっているので、設計図もなく造られます。そのとき、長さを測るには折り曲げた腕の肘から指先までを一つの単位(セラ)とします。
特徴
船底には太い竜骨が1本通っていて、そこから太い肋材がたくさんの立ちあがっています。そこに舷側板が鉄の船釘でとめられています。ですから船体には多くの船釘の頭が見えます。板と板はは重ね合わせない平張りです。
船尾が船首と同じように尖っています。これはダブル・エンダー型と呼ばれ、古くからの船形です。 舵は甲板の上まで高く伸びた舵柄に横木をとりつけ、そこからロープを引っ張って、舵輪に絡ませてあります。横木を前後に引くことにより、舵は向きを変えます。
トイレは船尾左側につけられた半円形の箱です。 炊事は前方の甲板上に置かれた箱のなかでします。昔はマングローブの木から焼いた炭を使っていましたが、いまはプロパンガスや石油コンロを使っています。
最大の特徴は太い帆柱と大きな三角帆です。正確には三角形の一端は切られているので、変形の四角形です。帆桁に帆を結びつけ、上の方まで揚げます。重い帆桁を揚げる作業には10人ほどの人手が必要です。
喫水線の下、船底は鮫や鯨などの油と石灰を混ぜたものを塗り付けています。上の方、乾舷は色を塗らずに板に油を塗るだけです。板と板との隙間をふさぐ充填材としては、原綿やヤシの繊維を油に浸して叩きこんでいます。
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